写真とエッセイ「夏の香り」 | bitokurashi
写真で日常を切り取る、びとくらし。 写真家ならではの視点や、景色の切り取り方、毎日の暮らしぶりを写真と文章で伝えいただきます。 スマートフォンの普及で写真を撮る機会が多くなった昨今ですが、何を写すか、どう感じるか、など、写真家の嵐さん自身を優しく感じることができる心地の良いコラムです。 「夏の香り」 コロナ禍での2回目の夏が巡ってきました。 去年はとまどっていた「暑い日でもマスク着用」の習慣に、すこしは慣れた気がしています。 子どもたちが飾った七夕の短冊に、欲しいものや将来の夢に混ざって「はやくコロナがおさまりますように」と書かれたお願いがたくさんあって、まだ幼い文字で書かれたそのお願いに、胸がぎゅうっとなりました。 今年の梅雨は、天気予報に「土砂降り」「記録的短時間大雨」「ゲリラ豪雨」「線状降水帯」など、とても激しい雨をあらわすことばが並ぶ、大忙しの空もよう。 電車で移動中、窓から見える川や山が、雨をたっぷりふくんだ黒い雲を映して暗い色になっていくのが見え、近くにいた人が「あー…洗濯物…」と外干ししたことを残念そうにつぶやいてるのが聞こえてきました。 ざあざあ降る雨を、家の中からのんびりとおもしろく観ていた子どもの頃とは違って、大人はそうもいかないのが辛いところです。 そんな連日の大雨がまるでなかったかのような夏空がひろがり、晴れて暑い梅雨明けとなりました。 休日の朝、外に出ると「夏休みが始まった香りがするなぁ」と、何の香りかは説明がつかないけれど、なんだか懐かしい空気につつまれました。 小さい頃にこの時期に感じていた、夏休み最後の日がまだまだ遠く感じられ、時間が欲しいだけあるような、贅沢な気分がよみがえってきました。 その日の午前中、家族で「もうこれは完全に夏が来たね」と暑さを肌で感じながら、須磨海岸へ散歩に出かけました。 地元の人と思われる方たちはすでにこんがりと日焼けをされていて、朝から遠慮なく照りつける太陽をものともせずに、ビーチでの時間を満喫されていました。 海岸の東端には、背の高いヤシの木が5本、シンボルのように植えられています。 影がほとんどない砂浜にできる、オアシスのような木陰に入らせてもらって海の様子を眺めながら、昔はお盆になると、石川県に住む祖母のところへ帰省していたことを思い出していました。
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